ホームページ
2015.3.19
【そこ、繋いでくれなくていいです】
出会った人が僕と「誰か」を繋いでくれようとする。
本当にありがたい話だと思う。
嬉しい。
ありがたい。
そう思うべきだとわかってはいる。
きっと皆
「この人にも、放浪書房をとみーを知ってほしい」
とか
「この人と知り合えば、とみーにとってプラスになるんじゃないかな、色々広がるんじゃないか」
そう考えてくれた結果なのだと思う。
でも、はっきり言います。
大事なので、ちゃんと言います。
【そこ、繋いでくれなくていいです】
僕が誰かに会うのは、また別の誰かと繋いでほしいからじゃない。
ただ、ただ、その人に会いたいから会う。
色んな偶然や必然が結んでくれた縁。もしかしたら、次会えるのは何年か後になってしまうかもしれない。
だから、今目の前にいる人との時間が大事。
紹介してくれる人がどんなに面白い人で、どんなに有能有名な人だろうと正直、あんまり、というか全然興味ない。
あちらさんだって、そうじゃない?
「放浪書房?よくわかんないけど、○○さんが紹介したいと言ってるし…忙しいけど、会うか…」
ごめんなさい、すいません、ご期待に応えれるか自信ありません…
放浪書房やってるところに来るならまだしも、そのへんのカフェで会談、下手したら先方のオフィスにお邪魔するとか…地獄です。笑
「とみーさん、○○さん面白いんで、今後色々絡めると思うんですよ!繋ぎますね☆」
「あー、そやって繋がされる人って、大抵面白くないなぁ。そして、絡んだ試しがないわ」
とは、関西の本屋さんの言。
まさにその通り。
「自然と繋がるんやね。縁がある人とは。無理矢理繋がんでもね。」
その通り。
こちとら、別に面白い人に出会いたくて放浪書房やってる訳じゃない。
でも、あなたをはじめ、面白い人に自然に出会うんです。
だから繋げてくんなくても大丈夫。
こんな商いを9年もやってるから分かる。誰より分かる。
《縁があるってことは出会うべくして出会えてしまうこと》
お互いの思惑やタイミングやその他諸々の諸事情なんか飛び越えて、
「やってくる」
そうやって、やって来てくれたあなたとのご縁なのに、そんなどこの馬の骨かもしれない(失礼な!そりゃお前じゃ!)「誰か」と繋げて貰い喜ぶなんて真似、僕には出来ない。
彼女とのデート中に、後ろのテーブルの女の子に色目を使うようなもの。
そんな真似していると、
「縁多ノ神様」
(エンタノ神様と読みます。放浪書房が崇拝する唯一絶対神にして、ご縁の神様、エンターテイメントの神様)にそっぽ向かれてしまう。
これもまた、ご縁で出会った和歌山県日高川町の山あいの本屋さん「イハラハートショップ」の井原さんも言ってた。
「とみーちゃん、3回やね。」
「3回って?」
「イベントも人とのご縁も3回。2013年にとみーちゃんがたまたま日高川町に来て、私や川合さんと出会って、そして今回再会した。次が大事やね」
あーなるほどと思った。
それはきっとこういうこと。
最初に出会うこと。
それはきっと、そんなに難しいことじゃないと思う。 相手のことなんてよくわかんない。
でも出会う。大抵不可抗力だったりする。(自分の場合)
2回目の出会い。
間違いなく、どちらかは、または互いに会いたいと願わなきゃ、会えない。
一緒の時間や空間を共有する中でより深く互いを理解しようとするだろう。
3回目の出会い。
これが大事。
3回目に繋げようとお互いが思えたか、それがとっても大事。
そして、ここである程度の「答え」が出ると思う。
4回目に繋げたいか、どうか。
1回会っただけの人と、Facebookで友達?になる。繋がる。
僕は間違いなく繋がってない。
備忘録に過ぎない。
相手の方にもそう思ってもらいたい。
正直に言います。
一回会っただけじゃ、顔思い出せません。
何話したかも忘れてます。
そんなもんです。
それで良いんです。(本当はダメです)
人は一生のうちに沢山の人に出会います。
全てを大事にして、全てのご縁に深く均等に、心や時間を費やせたら良いけどそうはいかない。
だから、3回。
1回目
正直大した縁じゃない。
かすった程度。
2回目会った時
「これはなんかあるぞ!」
と気付きます。
3回目も会いたいと思った時、
「こりゃよっぽどだぞ!」となります。
こんなお客さんがいます。
最初の出会いは9年前の京都。
彼女は大学生でした。 鴨川で店やってる時に来てくれました。
次は3年後、
放浪書房じゃなくて福業の携帯デコ職人として姫路の百貨店でイベントしてたら偶然!
就職してこちらに住んでるという。
彼女のDSをデコる。
それから何年か。
なんと東京に来ているとTwitterでやりとり。一度も会えずじまい。
また時が過ぎて、福岡博多で再会!!Twitterでたまたま知るという。
大濠公園のスタバでお茶するという。
今でも忘れた頃にTwitterで連絡が来る。
繋げたいとか、お互いまるっきり考えてない。でも不思議と出会ってしまう。
縁多ノ神様の愉快な思し召。
それが今の奥さんです。
なんて、書けたら物語的には申し分無いんですが、そんなことはこれっぽっちもなく…独身放浪族。
今日もひとり旅を続ける放浪書房なのでした。
本当にありがたい話だと思う。
嬉しい。
ありがたい。
そう思うべきだとわかってはいる。
きっと皆
「この人にも、放浪書房をとみーを知ってほしい」
とか
「この人と知り合えば、とみーにとってプラスになるんじゃないかな、色々広がるんじゃないか」
そう考えてくれた結果なのだと思う。
でも、はっきり言います。
大事なので、ちゃんと言います。
【そこ、繋いでくれなくていいです】
僕が誰かに会うのは、また別の誰かと繋いでほしいからじゃない。
ただ、ただ、その人に会いたいから会う。
色んな偶然や必然が結んでくれた縁。もしかしたら、次会えるのは何年か後になってしまうかもしれない。
だから、今目の前にいる人との時間が大事。
紹介してくれる人がどんなに面白い人で、どんなに有能有名な人だろうと正直、あんまり、というか全然興味ない。
あちらさんだって、そうじゃない?
「放浪書房?よくわかんないけど、○○さんが紹介したいと言ってるし…忙しいけど、会うか…」
ごめんなさい、すいません、ご期待に応えれるか自信ありません…
放浪書房やってるところに来るならまだしも、そのへんのカフェで会談、下手したら先方のオフィスにお邪魔するとか…地獄です。笑
「とみーさん、○○さん面白いんで、今後色々絡めると思うんですよ!繋ぎますね☆」
「あー、そやって繋がされる人って、大抵面白くないなぁ。そして、絡んだ試しがないわ」
とは、関西の本屋さんの言。
まさにその通り。
「自然と繋がるんやね。縁がある人とは。無理矢理繋がんでもね。」
その通り。
こちとら、別に面白い人に出会いたくて放浪書房やってる訳じゃない。
でも、あなたをはじめ、面白い人に自然に出会うんです。
だから繋げてくんなくても大丈夫。
こんな商いを9年もやってるから分かる。誰より分かる。
《縁があるってことは出会うべくして出会えてしまうこと》
お互いの思惑やタイミングやその他諸々の諸事情なんか飛び越えて、
「やってくる」
そうやって、やって来てくれたあなたとのご縁なのに、そんなどこの馬の骨かもしれない(失礼な!そりゃお前じゃ!)「誰か」と繋げて貰い喜ぶなんて真似、僕には出来ない。
彼女とのデート中に、後ろのテーブルの女の子に色目を使うようなもの。
そんな真似していると、
「縁多ノ神様」
(エンタノ神様と読みます。放浪書房が崇拝する唯一絶対神にして、ご縁の神様、エンターテイメントの神様)にそっぽ向かれてしまう。
これもまた、ご縁で出会った和歌山県日高川町の山あいの本屋さん「イハラハートショップ」の井原さんも言ってた。
「とみーちゃん、3回やね。」
「3回って?」
「イベントも人とのご縁も3回。2013年にとみーちゃんがたまたま日高川町に来て、私や川合さんと出会って、そして今回再会した。次が大事やね」
あーなるほどと思った。
それはきっとこういうこと。
最初に出会うこと。
それはきっと、そんなに難しいことじゃないと思う。 相手のことなんてよくわかんない。
でも出会う。大抵不可抗力だったりする。(自分の場合)
2回目の出会い。
間違いなく、どちらかは、または互いに会いたいと願わなきゃ、会えない。
一緒の時間や空間を共有する中でより深く互いを理解しようとするだろう。
3回目の出会い。
これが大事。
3回目に繋げようとお互いが思えたか、それがとっても大事。
そして、ここである程度の「答え」が出ると思う。
4回目に繋げたいか、どうか。
1回会っただけの人と、Facebookで友達?になる。繋がる。
僕は間違いなく繋がってない。
備忘録に過ぎない。
相手の方にもそう思ってもらいたい。
正直に言います。
一回会っただけじゃ、顔思い出せません。
何話したかも忘れてます。
そんなもんです。
それで良いんです。(本当はダメです)
人は一生のうちに沢山の人に出会います。
全てを大事にして、全てのご縁に深く均等に、心や時間を費やせたら良いけどそうはいかない。
だから、3回。
1回目
正直大した縁じゃない。
かすった程度。
2回目会った時
「これはなんかあるぞ!」
と気付きます。
3回目も会いたいと思った時、
「こりゃよっぽどだぞ!」となります。
こんなお客さんがいます。
最初の出会いは9年前の京都。
彼女は大学生でした。 鴨川で店やってる時に来てくれました。
次は3年後、
放浪書房じゃなくて福業の携帯デコ職人として姫路の百貨店でイベントしてたら偶然!
就職してこちらに住んでるという。
彼女のDSをデコる。
それから何年か。
なんと東京に来ているとTwitterでやりとり。一度も会えずじまい。
また時が過ぎて、福岡博多で再会!!Twitterでたまたま知るという。
大濠公園のスタバでお茶するという。
今でも忘れた頃にTwitterで連絡が来る。
繋げたいとか、お互いまるっきり考えてない。でも不思議と出会ってしまう。
縁多ノ神様の愉快な思し召。
それが今の奥さんです。
なんて、書けたら物語的には申し分無いんですが、そんなことはこれっぽっちもなく…独身放浪族。
今日もひとり旅を続ける放浪書房なのでした。
12:29 | コジマ・ジロー | その他